2016年07月

サウンドトラック発売をお願いする涼宮ハルヒファンのプロジェクトの活動報告
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  • はじめに ~「繰り返し」への注目~
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    ©2006,2007,2008,2009谷川流・いとうのいぢ/SOS団

    ピアノナイクさんは「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメと劇伴との関係を「日常/非日常」、そして「繰り返し/一回性」との対比という視点から考察している。繰り返し使用された日常の劇伴に対して、1回限りの決め打ちで使われるクラシック音楽――そしてそれは他文脈性に由来する非日常性を持っている――がアニメの演出において最大の効用をもたらすとしている(特に「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅵ」(第14話/第6話)(以下「サブタイトル」(2006年版放送話数/2009年版放送話数)と表記)において使用されたマーラーの交響曲第8番をその最たるものだと高く評価する)*1。
    つまり、非日常的で1回限りの音楽がもたらす演出効果を最大化するために、日常の音楽は繰り返され視聴者に印象付ける必要があった、と言い換えることもできよう。

    *1:ピアノナイク「劇伴レビュー【第6話】閉鎖空間に鳴り響くマーラー交響曲第8番」参照

    しかしピアノナイクさんは、だから日常の繰り返し演出の方が添え物であるとは言わず、音楽プロデューサーの斎藤滋さんの発言を引用、音響監督の鶴岡陽太さんの演出論に触れながら、その演出的効果の意義を「作品全編にわたってかけがえのない青春の1ページ的場面を何度も彩ってきたこの楽曲がクライマックスで流れることで、映像によって過去の思い出のシーンをフィードバックするといった演出を挟まずとも、音楽のみの喚起力によって走馬灯のように過去のシーンが甦る」と論じている。
    視聴者は、毎回繰り返し使用される音楽に、知らず識らずのうちに過去の使用シーンのイメージを重ね、作品の世界観――日常と言い換えてもいい――に没入していくのである。


    というわけで、本記事ではこの「繰り返し」という点に注目して、論を立ててみることにする。したがって、作品のある1話のある1曲を取り出してその音楽的効果を語ったり(子記さん)、各話で使用された楽曲の使用楽器やそれが象徴するところのもの、あるいはそれらの音楽史的位置づけを試みたり(cppzさん、たっくるさん)、といったものと性質を異にしているということを予めお断りしておく。レビューというよりもむしろ劇伴を通したアニメ演出論の考察に近いかもしれない。そしてこれは一般化できるものではなく、この「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメにおいてのみ有効な特殊なものであろう。


  • 2006年版からみると
  • さて「涼宮ハルヒの憂鬱」は、テレビアニメ第1期では全14話構成で放送された。2009年版では時系列順に放送されたし、2006-7年発売のパッケージ版も順番通りに収録された。しかし2006年版、すなわち最初に放送された時の順番は原作1巻の「涼宮ハルヒの憂鬱」(以下「憂鬱」)という長編の途中に短編が挿入される形での放映であった(「憂鬱」はそれぞれⅠ-第2話、Ⅱ-第3話、Ⅲ-第5話、Ⅳ-第10話、Ⅴ-第13話、Ⅵ-第14話(1期最終話)として放映)。
    つまりこの構成により、原作では後の巻にあたるエピソードが1巻のエピソードが完結するよりも前に放送されたのである。


    それは先述した「繰り返し演出」との関係において何を意味するのか……いや、もったいぶる必要もあるまい。
    2006年版の放送順は、我々視聴者に未来のイメージを、過去に重ねることを命じているということである。より具体的に言おう。2006年版の放送順は時系列シャッフルが行われており、本来、作品内の時間軸において未来にあたるはずのエピソードが、過去のエピソードに先行してしまっている、そのため、作品を外側から「視聴者」という視点で観測する我々にとって、未来を所与のものとして過去に相対せねばならないのである。


    以下の左表は、時系列順であった使用劇伴一覧を2006年の放送順に並びなおしたものである。
    参考までに、右には時系列順のものを用意した(元図表の作成は子記さんと小山内ともさん、一部改変)。

    ハルヒ 放送順 ハルヒ 時系列順

    ※注:「朝比奈ミクルの冒険 Episode:00」(第1話/第25話)は劇中劇であり、使用劇伴も一度きりのものが多いため、表からは除いた。またそれに伴い、その話でしか使用されなかった楽曲も省略した。青色で塗ってあるのは「憂鬱」のⅠからⅥの楽曲である。というか、見にくくて大変申し訳ない。
    ※1期エピソードのタイトルと話数 参考
    凡例「サブタイトル」(2006年版/2009年版 放送話数)
    「朝比奈ミクルの冒険 Episode:00」(第1話/第25話)
    「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅰ-Ⅵ」(第2話/第1話, 第3話/第2話, 第5話/第3話, 第10話/第4話, 第13話/第5話, 第14話/第6話)
    「涼宮ハルヒの退屈」(第4話/第7話)
    「ミステリックサイン」(第7話/第9話)
    「孤島症候群 前/後編」(第6話/第10話, 第8話/第11話)
    「射手座の日」(第11話/第27話)
    「ライブアライブ」(第12話/第26話)
    「サムデイ イン ザ レイン」(第9話/第28話)

  • 具体的に
  • 代表的な劇伴である「いつもの風景」を例に見てみよう(表では上から2曲目)。
    時系列順に視聴した場合、「憂鬱Ⅵ」視聴時に我々が抱くのは「憂鬱Ⅰ」である。つまりその時点において、第1話しか想起しえない。そのため終盤で「そして、いつもの風景」であのフレーズが流れた時、我々が思い出す日常は1話、あるいは6話のアバンだけなのである。2009年版やパッケージ版で初めて観た方々はそのように印象するしかない。
    しかし、2006年版においては「憂鬱Ⅰ」に加えて、「涼宮ハルヒの退屈」(第3話/第7話、以下「退屈」)、「サムデイ イン ザ レイン」(第9話/第28話、以下「サムデイ」)、「射手座の日」(第11話/第27話)がそれに先行する。各話のイメージもまた「憂鬱Ⅵ」に重なってくることになるのだ。
    逆に言えば、我々は時系列順に観る時「憂鬱Ⅰ」「憂鬱Ⅵ」「退屈」「射手座の日」という思い出の日々を、最終話「サムデイ」に重ねて観るのである。


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    ©2006,2007,2008,2009谷川流・いとうのいぢ/SOS団


    その他の楽曲についても同様である。
    複数回に亘って使用された劇伴については「何かがおかしい」「おいおい」「憂鬱の憂鬱」「好調好調」「ザ・強引」といった本編を通して8回以上使用されるもの、あるいは「うんざりだ」「激烈で華麗なる日々」のように主に前半で活躍する楽曲、「みくるのこころ」「長門の告白」「ミステリータイム」などキャラクターのテーマ楽曲的なものまで存在する(「ザ・強引」はキャラクターのテーマ楽曲にも含まれるかもしれない)。だがいずれにしても、日常を彩る劇伴の数々はその受容に際して、放映の順番が前後してしまうために、2006年版と2009年版とで異なる文脈に位置付けることを余儀なくされるのである。


  • シャッフルがもたらしたちぐはぐタイトル
  • 時に順番の前後は、各劇伴のタイトルと使用シーンとの関係にもズレを与える。
    2006年版の放映順では、「神人」も対神人よりも先に対上ヶ原パイレーツ戦で聴くことになってしまう。間違いではないが「閉鎖空間」がはじめにかかるのも対カマドウマ戦ということになる。ともすると「神人」は「上ヶ原パイレーツ」という題になっていたのかもしれない。もし「憂鬱Ⅴ」で、古泉一樹が劇伴「上ヶ原パイレーツ」にあわせて神人と闘っていたら……なんともマヌケではなかったか。もっともたかだか1度かかったくらいで劇伴とシーンのイメージが無意識に刷り込まれるということも考えにくいので、必ずしもすべてに妥当するとはいえないだろう。それでも「この曲どこかで聴いたような……」という直観的感覚が不意に訪れることもまた事実である。野球対決で世界存亡の危機を表す曲がかかるのは愉快な誇張表現ともなろうが、世界存亡の危機に野球対決の曲がかかるというのは軽薄すぎる。ここに関していえば、時系列順に観たほうがいいのかもしれない。


    それはさておき。順番の前後はこんなところにも見出せる。
    時系列順に観ると「ある雨の日」「憂鬱Ⅵ」ではじめて聴くことになる劇伴である。しかし、そのタイトルが意味するのは”Someday in the rain”、すなわち「サムデイ」のほうであろう。もともとどちらのシーンに使用するためにかかれた楽曲なのかは明らかではないが、2006年版において「サムデイ」のほうが「憂鬱Ⅵ」よりも先であったことから「サムデイ」のためにかかれた楽曲とみるのが自然であろう。我々視聴者は無意識にあの雨の日の2人の帰り道を、「憂鬱Ⅵ」の文芸部室のSOS団員たち――むすっとしながらみくるの髪をおだんごにするハルヒ、本を読む長門、古泉とオセロに興じながら「こんな日がずっと続けばいい」と言うキョン――に重ねる。意図的な演出であるならば、それは制作者側から「『サムデイ』『憂鬱Ⅵ』に重ねて観よ」という視聴者に対する婉曲的な指示であると考えることもできる。


  • 結論
  • 一般に、繰り返される音楽がゆえに、シーンのイメージは無意識に刷り込まれ、積み重ねられ、同じ音楽がかかった時に感動を惹起させる。2006年版「涼宮ハルヒの憂鬱」においていえば、時系列シャッフルという演出のために、未来の出来事の記憶や印象を過去に起こった出来事に重ねて観ることになるのである。
    考えてみれば、未来のイメージを過去に重ねる、そんな視点は時間遡行が可能である未来人にしかできないことである。しかし我々にはそれが可能なのだ。ここにおいて、我々視聴者こそが実は未来人、朝比奈みくるであったのだと気づかされるのである(藤原かもしれないが)。シャッフル的解釈を十全に堪能できるのは、初見の、しかも2006年版から観始めた視聴者にのみ与えられた特権である。2周目、3周目を観る者にとってあらゆる情報はすでにサブリミナルに刻まれており、観れば観るほど15000回以上の夏休みをループした記憶が既視感となってキョンを襲ったように、劇伴に対して感覚せざるをえなくなる。この時、同じシーンの過去の記憶を重なることになり、視聴者はより時間を超えた存在としての視点から作品に向き合っていくのである。

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    ©2006,2007,2008,2009谷川流・いとうのいぢ/SOS団


  • むすびにかえて ~サントラ発売がアニメ解釈に与える影響~
  •  なお今までハルヒ劇伴は、DVDやBDの特典CDとしての流通であり、鑑賞の対象を主として既に視聴したことのある者にしていた。しかし、サウンドトラックの発売はアニメ未視聴者にも音楽を聴く機会を与える。これはアニメの文脈を超え、視聴者の日常生活すらもアニメ視聴時の印象に重ねうる。誰と、どこで、いつ、何をしながら、どんな日に、どんな気持ちでアニメを観たか。こうして、「涼宮ハルヒの憂鬱」は我々の日常という文脈を得て、より生き生きとしたものとして視聴できる可能性を獲得した。より広範な文脈での視聴を可能にしたサントラの発売は実に喜ぶべきことである。以上のような視点でサントラ発売という事実そのものを捉えなおすと、2016年7月7日はアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」にとって間違いなく画期的な日だといえよう。発売、本当におめでとうございます(実はこれが言いたかっただけです!)。



    ■著者紹介

    らゅしあ(@astro_phom)。
    Elements GardenとMONACA楽曲ファン。ハルヒは青春そのもの。キャラソンは「パラレルDays」が好きです。

    ■ハルヒシリーズで好きな劇伴曲

    「SOS団始動!」(特に好きな1曲。この曲のパヤパヤ感が最高なんです、殿堂入り。)
    「長門VS朝倉」「笑顔で強引に進む女」

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